百日紅のお話におもう
境内のサルスベリが咲きました。
「今年は咲かないかな〜」
と思っていましたが綺麗に咲いてくれました。
植物の生命力には驚かされます。
サルスベリは「猿滑り」ですが、どうやら「百日紅」とも書くようです。
えらく印象の違う書き方だなあ、と思って調べると、百日紅にはいくつかの伝説があるようです。
恋人を待ったり
亡き父を待ったり
と
若い娘が待ち人来らずで100日待って死んでしまい、その亡骸を埋めたところから生えたのが百日紅で、娘のように美しい花を咲かせる、というのが大筋のようです。
来るか来ないかわからない人を待つのは大きなストレスなので、死んでしまうのも頷けるような気がします。
私などは関西で言うところの「いらち」で、待つのが苦手な人間なので100日も待てないな〜と思います。
私に限らず、人というのはなかなか待つことはできないものではないでしょうか。待てる人は尊敬します。
人は気が短い。
対して仏さまは気が長い。
それはもう、とんでもなく気が長い。
阿弥陀さまという仏さまは人間(機根)が熟するのをひたすら待って、熟したところで念仏の花を咲かせる仏さまです。
私が念仏しているということは、機が熟したわけです。偉くなったということじゃありません。今まで未熟で、念仏という花を咲かせることができなかったのでしょう。
未熟者を熟するまで待って下さった阿弥陀さまがすごいのですね。
待つことは難しいですが、待つことこそが慈悲のすがたなのかなあと百日紅の花を見ながら思いました。
私も少しは待てる人間になりたいものです。
南無阿弥陀仏
正信