高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

二一日拝読 在家尼女房章 五帖第三通

二一日拝読 在家尼女房章 五帖第三通

それ、在家の尼女房たらん身は、なにのやうもなく、一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、後生たすけたまへと申さんひとをば、みなみな御たすけあるべしとおもひとりて、さらに疑のこころゆめゆめあるべからず。これすなはち弥陀如来の御ちかひの他力本願とは申すなり。このうへには、なほ後生のたすからんことのうれしさありがたさをおもはば、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(『浄土真宗聖典─註釈版─』1190頁)
 在家の身でみ仏の教えを聞く女性は、自力のはからいを捨て、一心に阿弥陀如来を深くたのみ、後生をおたすけくださいとおまかせするならば、み仏はみなお救いくださると信じ、疑いの心があってはなりません。これが阿弥陀如来の他力本願ということです。
 そのように信心を得た後に、浄土に往生させていただくうれしさありがたさを思うなら、ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えるべきです。
『御文章 ひらがな版 拝読のために』より