10月 掲示法語更新
●浄土真宗を感じる法語
仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし
和讃の全文は
「弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん
仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし (『註釈版聖典』五九三頁)」
です。
法蔵菩薩の願いが南無阿弥陀仏という名号(名前の仏さま)として私に聞こえ、私の口に称えられるように成就してくださっています。それがなかったなら、私は今生が終わっても、また生まれ変わり死に変わりしながら苦しみ続けていたことでしょう。
南無阿弥陀仏と出あったなら、この命終えて、往く先はお浄土であり、仏さまとしての生をたまわるのです。
南無阿弥陀仏と出あったなら、この命終えて、往く先はお浄土であり、仏さまとしての生をたまわるのです。
これからの人生は、仏さまの恩をおもい、お念仏をもうしながら歩む人生です。
●仏教の教えを感じる法語
人間は 我を知らず
我ほど知り難いものはないのである
「自分のことは自分が一番知っている」とよく聞きますが本当でしょうか?
私は自分の誕生日を知っていますが、それは誰かに聞いて知っている気になっているだけで、自分が生まれた時に自分でカレンダーを見て確認したわけではありません。
また、私は私の顔を知っている気でいますが、それも鏡にうつった間接的な顔であったり、写真にうつった自分です。肉眼で直接に自分の顔を見たことはありません。
そして、心の奥底もそうです。自分が本当に何を思っているのか、深層心理の全てを知ることはできません。
存在そのものについてもそうです。「なぜ、私は私として生まれたのか?」「私はなんのために生れて、何のために死んでいくのか?」という存在の意味については、自分だけでは知りようがありません。