高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

配布法話 「氷がとけると水になる」

一念寺門前設置の配布法話を更新しました。
「氷がとけると水になる」

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氷がとけると水になる
 浄土真宗の開祖親鸞聖人は京都のお方ですが、承元の法難にあって越後(新潟)に流されました。京都では見れないような豪雪をご覧になり驚かれたことでしょう。そんな親鸞聖人はこのようにお示しです。
「かならず煩悩の氷とけ
 すなはち菩提の水となる」
ここでは、人の煩悩を「氷」、仏の菩提(悟り)を「水」にたとえられています。


 一般的な仏教では、修行して煩悩を小さくし、最終的には煩悩を消し去って悟りをひらくと説かれます。煩悩と菩提は正反対のものです。
しかし、親鸞聖人の教えはそうではありません。煩悩が菩提になると仰るのです。
そもそも、人と煩悩は別けられません。人間の三大欲求も煩悩ですし子煩悩などの愛情も煩悩です。私と煩悩は分離できません。そう考えると、「私には煩悩がある」と言うより「私が煩悩」と言う方が正確でしょう。煩悩を消し去るということは私が消えて無くなってしまうということ。だとすると、煩悩を消し去ってはじめて救われるなら、私は決して救われません。
人間はどこまでも煩悩を捨てられないと見抜かれた親鸞聖人は、「阿弥陀さまは、そんな私たちだからこそ、決してお見捨てにならない」とお説きになられました。阿弥陀仏は、煩悩をかかえた私を切り捨てず、その煩悩ごとお浄土に救いあげて悟らせて救う仏さまなのです。
人々を困らせる雪や氷は、とけて水になり、多くの命をはぐくみます。煩悩の私がいつかお浄土に生れて仏になり、人々をはぐくみ救う側になるのです。
南無阿弥陀仏 副住職

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【余談】

全くの余談ですが、先日の寒波ではJR京都線が雪で動かくなり、職場から帰る途中だった副住職は車内に閉じ込められてしまいました。
結局、帰宅できたのは退社後8時間経った翌日午前1時。
人生というのは何が起こるかわからないものですね。

向日町駅で途中下車し、坊守に車で迎えに来てもらったのですが、スタッドレスタイヤでもツルツル滑って、時速20キロほどで帰りました。
雪がアイスバーンになっていたのです。

そんなこともあり、氷の法話を書いてみました。

一念寺門前に設置していますし、PDFでもお読みいただけます。

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