お釈迦さまの入滅物語
お釈迦さまが80歳になられたときのことでした。雨期の雨が降り注ぐのを眺めながら、お釈迦さまはアーナンダという仏弟子に話しかけられました。アーナンダはお釈迦さまの身の回りのことを任された仏弟子でした。
「アーナンダよ、わたしはもう随分と老いてしまった。この人生の旅路ももう終わろうとしているようだ。見てみなさい。ちょうど今、雨の中を通っていく古ぼけた荷車がある。荷車は自ら動くことはない。牛につながれた革紐に引かれて、やっとのことで動いている。そして、長年牛に引かれ傷んだあの荷車はもうすぐ壊れ、そして朽ちてしまうことだろう。私もあの荷車と変わらない。紐に引かれて、かろうじてこの人生の旅を続けている。そして、その旅ももうじき終わる。」
それを聞いて、アーナンダは驚き、目を見開いてお釈迦さま駆け寄り申し上げました。
「お釈迦様、どうかそのようなことを仰らないでください。そんなことは考えられません。私はまだまだあなたさまの教えを聞きたいのです。」
それを聞いたお釈迦さまは微笑み、アーナンダに仰られました。
「アーナンダよ、あなたは私にこれ以上何を期待すると言うのか。私はもう、ことごとく法を説いた。私が仏陀となって説いた教えは、あなたたちに説いたものが全てだ。教え渋ったような隠し事は一切ない。」
お釈迦さまはそう言うと両手のひらをひらいて、アーナンダに見せました。
「この手のように、私には握り込んで離さないものは何一つない。誰かにだけ説いて、他の人に隠しているようなこともない。仏弟子たちにも、そうでない者たちにも、私は隠し事なく法を説いてきた。そしてそれを一番そばで聞いてきたのはアーナンダ、あなたではないか。」
アーナンダは確かにお釈迦さまの近くで、いつも教えを聞いていた多聞第一と呼ばれる仏弟子でした。しかし、アーナンダ自身は未だ悟りを開くこともできず、自分はさとりの道半ばに居るとしか思えなかったのです。
「お釈迦さま。仰る通り私はあなたさまの説法をおそばで沢山聞いてまいりました。しかし、まだまだ足りないのです。私のような道半ばの者は、あなたさまがお隠れになってしまったなら、私は誰に教えを乞えば良いのでしょうか。」
まるで子犬のように不安な目でお釈迦さまを見つめるアーナンダに、お釈迦さまは教えを説かれました。
「アーナンダよ。おそれることはない。今言ったように、私は全ての教えをあなたたちに説き終わったのだから、あなたが今までに聞いてきて、あなたに満ちている教え、つまり法そのものをよりどころとして励みなさい。
自らが聞いてきた仏陀の教えを、人生を照らす灯明としなさい。」
「わかりました……。お釈迦さまが説いてくださった法を大切にしながら、これからも励みます。しかしながら、どうかどうか私たちのために、もっと長く、この世界にとどまってください。今にもお隠れになるような、そのようなことは仰らないでください。」
お釈迦さまはアーナンダの言葉を聞いて、また少し微笑まれました。
やがて雨期が終わり、お釈迦さまはヴァイシャーリーへ托鉢に戻ると、各所で説法をされました。
ヴァイシャーリーを去る時、お釈迦さまは弟子たちの前で、
「私がヴァイシャーリーへ来ることはもうないだろう。これが私にとって、ヴァイシャーリーの見納めである。」
と仰りました。
弟子たちは、お釈迦さまがご自身の死が近いと宣言されたことにとても動揺しました。
そこからも旅を続けたお釈迦さま一行は、パーヴァ―に到着されました。
パーヴァ―にはチュンダという鍛冶屋を営む青年が住んでいました。
チュンダは出家者ではありませんでしたが、幼い頃に両親を亡く、普段からお釈迦さまの教えを拠りどころにして暮らしていました。
お釈迦さま一行がパーヴァ―に来られたことを知ったチュンダは大喜びし、急いでもてなしに向かいました。お釈迦さまもまた、チュンダのもてなしを喜び、法を説かれました。
「お釈迦さま、ありがとうございます。このチュンダ、これ以上の喜びはございません。どうか、明日の朝の食事を私に用意させてくださいませ。尊い方々への布施を、どうかこのチュンダに用意させてくださいませ。」
お釈迦さまは、そのチュンダの申出を快諾されました。
「チュンダよ、ありがとう。私はもう年老いてしまったので、柔らかい料理を私用に用意しておくれ。それは私だけが食べるものなので、他と一緒にしてはならない。そして、それ以外のものは、私の弟子たちに布施してあげなさい。」
お釈迦さまがそう言われると、チュンダは飛び上がって喜び、明日の布施の用意に取り掛かりました。
翌朝、チュンダは持てる全てをつぎ込んで用意した布施を、お釈迦さま一行に布施しました。さまざまな料理が所狭しと並べられましたが、お釈迦さまはチュンダが用意した柔らかい料理だけをお取りになりました。
「チュンダ、ありがとう。私はこの料理だけを食べることにする。そして、この料理の残りがあるなら、それは他の人に食べさせてはならない。穴を掘り埋めて、誰も手をつけてはならない。」
「お釈迦さま、かしこまりました。仰せのままにいたします。」
チュンダは、お釈迦さまが召し上がるものは特別なものだから、他の人と共有してはならない決まりなのだろうと思い、とお釈迦さまの仰せをそのままに聞き受けました。
チュンダの布施を受けてからしばらくしたとき、アーナンダがお釈迦さまの異変に気付きました。お釈迦さまはいつものように穏やかな表情をされていましたが、顔色が悪く、身体はまるで枯れ木のようになっていました。
「お釈迦さま、どうされたのですか。」
「アーナンダよ。その時が来たのだ。さあ、最期の旅をしよう。」
そう言うと、お釈迦さまは激烈な腹痛に耐えながらカクッター河で沐浴しました。
お釈迦さまの肉体が明らかに死へと向かっていることを知ったアーナンダは泣きながらお釈迦さまに訴えました。
「お釈迦さま、なぜこのようなことになったのでしょうか。私は耐えることができません。先程の鍛冶屋の布施の品のせいではないですか。ここに来なければ良かったのでしょうか。」
お釈迦さまは痛みに耐えながらも微笑み、アーナンダに語り掛けました。
「アーナンダよ。そうではない。悲しむな。嘆くな。私は説いていたではないか。全ての物はうつろいゆき、最愛のものとも必ず別れなければならない。どうして私だけが、その法から外れることができようか。」
お釈迦さまのお身体は、今にも倒れてしまいそうなほどにやせ細っていました。
お釈迦さまはアーナンダに仏弟子たちを集めさせました。
「弟子たちよ。きっと、誰かがチュンダのことを悪く言うだろう。チュンダが仏陀を殺したのだと。しかし、それは間違いである。
その昔、私はスジャータの布施により悟りを開いて仏陀となった。スジャータの布施を悪く言うものが居るだろうか。」
その昔、私はスジャータの布施により悟りを開いて仏陀となった。スジャータの布施を悪く言うものが居るだろうか。」
「いえ、お釈迦さま。私たちの誰一人として、スジャータを悪く言う者は居りません。スジャータの布施は、最上の布施です。」
「そうだろう。チュンダの布施も同じく、最上の布施である。チュンダの布施は私の生涯を完成させ、大いなる悟りの世界へと至らせる布施である。スジャータの布施も、チュンダの布施も、ともに悟りへの布施であり、最も重要で、最も徳のある布施なのだ。もし、チュンダを恨む者が居たなら、このことを良く言って聞かせなさい。」
「わかりました。お釈迦さま、仰せの通りにいたします。」
お釈迦さまは最後の力を振り絞り、ヒランニャバッティ河のほとりにある、サーラの林の木々の間に、頭を北にし顔を西に向けて横たわられました。
「こうすれば、日が沈む空が良く見える。日が沈むように、私の旅ももうすぐ終わる。」
アーナンダは取り乱し、倒れそうになりながら訴えました。
「お釈迦さま、どうかどうか思いとどまってください。私には耐えられません。」
お釈迦さまは、取り乱すアーナンダに語り掛けました。
「アーナンダよ。私は喉が渇いた。先程通った川で水を汲んできておくれ。」
「お釈迦さま、先程の川を見ましたが、川の水は随分と濁っておりました。おそらく上流で車が通ったのでしょう。あのように濁った水をお口にされては、お体に障ります。」
それを聞くと、お釈迦さまはまた微笑み、
「アーナンダよ。きっと大丈夫だ。川へ行って水を汲んできておくれ。」
と仰りました。
アーナンダはお釈迦さまのそばを離れたくない想いで一杯でしたが、しぶしぶ川に向かいました。そして、川の水を見て大変驚きました。
「ああ、なんということだ。さっきまであれほど濁っていた水が、雪解け水のように清らかに澄んでいる。」
アーナンダはその冷たい水を鉢に汲み取ることで少し心を落ち着けることができました。そして、汲んできた水をお釈迦さまに捧げました。
お釈迦さまはその水を口に含み、ほんの少しを飲み、微笑みました。
「ああ、美味しい。アーナンダよ、最期まで良く私に尽してくれたね。ありがとう。
そして、弟子たちよ、私が涅槃に入った後も、私が今まで説いてきた教えをよりどころとし、法をよりどころとして、これからも怠ることなく励みなさい。」
いつの間にか、お釈迦さまの周りには弟子たちだけではなく、多くの動物たちが集まっていました。その群衆の中には、神々や鬼神、悪魔までもが駆けつけていました。その誰もが、お釈迦さまとの別れを惜しんでいました。
お釈迦さまは嘆き悲しむ衆生たちと、微笑みをたたえる菩薩たちに見守られながら、最期に大きく息をし、眠るように大いなるさとりの世界へと入っていかれました。
※この物語は仏典に基づいていますが、多分に創作を含むもので、正確さに重きを置くものではありません。※イラストは私が描いたものです。仏の相を示したお釈迦さまではなく、人間として生まれて人間として死んだお釈迦さまをイメージして描きました。