高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

配布法話 金剛心と菩提心



一念寺門前に設置している配布法話を更新しました。
お近くの方は手に取って見てくださいね。

【本文】
信心すなはち一心なり
一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり
『高僧和讃』天親讃

 浄土真宗の信心は金剛心であり菩提心です。金剛心はダイヤモンドのように壊れない強い心。菩提心は、自分も他人も共に幸福にし、さとりを目指す心です。
 この夏、若院は夏風邪をこじらせ七月後半は大変辛い思いをしました。身体が弱ると心も弱くなるもので、少しのことで「ひょっとして、悪い病気で死んでしまうのではないか」と不安になったり、些細なことでイライラしたりしてしまったりと、心は揺れ動きます。どうやら、私の心は金剛のようには強くないようです。また、自分がつらさを抱えている時には他人を思いやる余裕がなくなりがちです。たとえ元気な時であっても、好きな人の幸せなら願えるかも知れませんが、嫌いな人の幸せを願うのは難しいのが人情です。そんな自己中心的な私の心は、自他共に幸福を目指していく菩提心からは遠く離れているようです。金剛心も菩提心も私には得難い心です。
 しかし、阿弥陀仏はそんな私の心をよくよくご存知です。阿弥陀仏は「あなたのことは全部知っているよ。あなたがどんな人間であっても必ず救うから、私にまかせなさい」とよびかけてくださっているのです。そのよび声が南無阿弥陀仏の名号です。
 そして、浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、自分というものはあてにならないものなのだから南無阿弥陀仏をあてにしておまかせしましょう、と説いてくださいました。私が立派な心を育て上げるのではなく阿弥陀仏におまかせするのが信心なのですね。ですから、このご和讃の最後には「この心すなはち他力なり」と書かれているのです。
おまかせするものが二つも三つもあると、それ自体が迷いになってしまいます。一つなら迷いようがありません。ですから、ただ一つ、阿弥陀仏におまかせする信心を一心というのです。
南無阿弥陀仏 一念寺若院 保田正信