そもそも、当国摂州東成郡生玉の庄内大坂といふ在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、さんぬる明応第五の秋下旬のころより、かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、当年ははやすでに三年の星霜をへたりき。これすなはち往昔の宿縁あさからざる因縁なりとおぼえはんべりぬ。それについて、この在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯をこころやすく過し、栄華栄耀をこのみ、また花鳥風月にもこころをよせず、あはれ無上菩提のためには信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をも申さん輩も出来せしむるやうにもあれかしと、おもふ一念のこころざしをはこぶばかりなり。またいささかも世間の人なんども偏執のやからもあり、むつかしき題目なんども出来あらんときは、すみやかにこの在所において執心のこころをやめて、退出すべきものなり。これによりていよいよ貴賤道俗をえらばず、金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに弥陀如来の本願にあひかなひ、別しては聖人(親鸞)の御本意にたりぬべきものか。それについて愚老すでに当年は八十四歳まで存命せしむる条不思議なり。まことに当流法義にもあひかなふかのあひだ、本望のいたりこれにすぐべからざるものか。しかれば愚老当年の夏ごろより違例せしめて、いまにおいて本復のすがたこれなし。つひには当年寒中にはかならず往生の本懐をとぐべき条一定とおもひはんべり。あはれ、あはれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、朝夕おもひはんべり。まことに宿善まかせとはいひながら、述懐のこころしばらくもやむことなし。またはこの在所に三年の居住をふるその甲斐ともおもふべし。あひかまへてあひかまへて、この一七箇日報恩講のうちにおいて、信心決定ありて、われひと一同に往生極楽の本意をとげたまふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年十一月二十一日よりはじめてこれをよみて人々に信をとらすべきものなり。
[釈証如](花押)
(『浄土真宗聖典─註釈版─』1188頁)
この摂津の生玉の庄内大坂に坊舎を建てて、もう三年が過ぎました。
この場所に住んでいるのは、一生を安穏に過ごし、華やかでぜいたくな生活をしたり、また花鳥風月などに心をよせるためではありません。信心を決定する人も増え、念仏する人々が多く育ってほしいと思うばかりです。もし少しでもとらわれをもって、無理難題をいうような人があるようなら、この地にとどまろうとは思わずにすぐに離れるべきであります。僧侶であるか俗人であるかなどに関係なく、信心を決定することこそが、阿弥陀如来や、ことに親鸞聖人のご本意に沿うものでありましょう。
私も八十四歳になりましたが、この夏ごろから体調が悪くなり、快復のきざしがありません。この冬にはきっと往生の素懐をとげることになるでしょう。それにつけても、生きているうちに、みなが信心決定するようにと、朝な夕なそのことばかりを思っています。信心を得ることは、人間のはからいによることではありませんが、いつもそのことを思っています。
どうか、この七日間の報恩講において、だれもが信心を決定して、ともどもに浄土往生をとげたいものです。
『御文章 ひらがな版 拝読のために』より