十九日拝読 末代無智章 五帖第一通
仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に
仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀
如来はすくひましますべし。これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころな
り。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎ
りは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(『浄土真宗聖典─註釈版─』1189頁)
末法の世にあって、まことの智慧もなく、在家の生活をしているものたちは、一心に阿弥陀如来をたのみたてまつって、ほかの神や仏に心を向けず、ひたすらみ仏におまかせしなさい。そのものを、どんなに罪は重くとも、かならず阿弥陀如来はお救いくださいます。これが第十八願、すなわち念仏往生の願のこころです。
このように信心を決定した後は、寝てもさめても、命のあるかぎりは仏恩報謝の念仏をすべきです。
『御文章 ひらがな版 拝読のために』より