掲示法語・配布法話 ただ一人 私のための なもあみだ
5月の掲示法語と解説法話です✨
門前に寺報を設置していますので、お近くの方は是非手に取って読んでみてくださいね
【掲示法語】
ただ一人 私のための なもあみだ
【法話本文】
相手のために自分を変えることは難しいことです。相手を自分よりも大切だと思えなければなかなかできません。
ディック・ホイトさんというマラソンやトライアスロンの大会で多くの記録を残し、今も語り継がれている人がいます。約四〇年間、合計一一三〇の大会を完走しました。出場数も凄いのですが、ディックさんは全ての大会で、息子のリックさんを運びながら完走したのです。
息子のリックさんは一九六二年に首以外を動かすことが出来ない状態で生まれました。そして十五歳の時、ディックさんに「全身マヒの生徒のためのチャリティーマラソンに出たい」と申し出たのです。ディックさんは驚きましたが、すぐに「出よう!」と答えました。
翌日からディックさんの猛烈なトレーニングが始まりました。ディックさんは運動不足の三八歳。毎日毎日、血のにじむような努力をしました。
大会当日、ディックさんは見違えるようにたくましくなっていました。そして、息子を乗せた六〇キロの車椅子を押して、マラソンを完走したのです。
走り終えた時、息子のリックさんは「父さんと走っている時、僕は初めて自分の障がいを忘れることができた」とディックさんに最高の笑顔を見せました。
その後もトレーニングを重ね、一九八九年、トライアスロンの最高峰、アイアンマン選手権に出場し、リックさんを押し、背負い、抱きかかえ、十四時間二六分四秒で完走しました。
周囲の人は驚き、ディックさんに
「あなたがもし一人で出場したら世界記録が出せたのではないですか?」と聞きました。ディックさんは「それはあり得ません。私が走る理由は、息子と共に走り、泳ぎ、息子のひまわりのような笑顔が見たいから。ただそれだけなのです」と答えました。
この偉業を支えたのは、リックさんが生まれた時に妻のジュディさんと誓い合った言葉でした。
「私たちが諦めたらこの子に明日はない。私たちは決してあきらめない」
ディックさんはこの誓いの通り、愛する息子のために自分自身を変えることをあきらめなかったのです。
親鸞聖人は「法蔵菩薩が途方もないご苦労をされて南無阿弥陀仏に成られたことをよくよく考えてみると、それはただこの親鸞一人を救うためであった」と喜ばれました。南無阿弥陀仏の名号は、自力で往生成仏できないこの私のために仏さまの側が変わってくださった姿だったのです。
私一人のためのお慈悲を味わいながらお念仏を喜ばせていただきます。
南無阿弥陀仏 一念寺副住職 保田正信
【聖典の言葉】
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』、註釈版八五三頁)
願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり(『教行信証』信巻 註釈版二五二頁)