掲示法語・配布法話 お浄土は 願いが満足 するところ
6月の掲示法語と解説法話です。
門前には配布寺報を設置していますので、お近くの方は手に取って読んでくださいませ。
【掲示法語】
お浄土は 願いが満足 するところ
【本文】
先日、ご法話のご縁で広島へ行きました。平和公園に近かったので数十年ぶりに原爆ドームにおまいりすることができました。久しぶりに見る原爆ドームを前にして新聞に掲載されていたある少年とその両親の話を思い出しました。
原爆が落とされた時、山本真澄さんは中学一年でした。勤労のため朝早くに登校していて被爆してしまいました。全身に火傷を負いながらも家にたどり着き「お父さんやお母さんに会いたかったから、夢中で地獄の中から抜け出して来ました」とハッキリと言ったのだそうです。治療しようとしても出来ることは火傷に油を塗るくらいのこと。まともな手当ができないまま真澄さんは弱っていきました。
その夜の十一時、真澄さんは傍らで見守る両親に
「本当にお浄土はあるの?」
と質問しました。両親は動揺しましたが
「ええ、ありますとも、それはね、戦争も何もない静かなところですよ、いつも天然の音楽を聞くような、とてもいいところですよ。」
とお寺で聞いていたお浄土のお壮厳についてお話ししました。
しばらくその話を聞き入っていた真澄さんは、不意に両親に
「そこにはヨウカンもある?」
と聞いてきました。子どもらしい無邪気な問いに驚きながら、お母さんは
「ええ、ええ、ありますよ。ヨウカンでもなんでも」
と声を絞り出して答えました。それを聞いた真澄さんは
「ほう、そんなら僕は死のう」
と言いました。両親は押し黙るしかありませんでした。
その後、真澄さんは口の中で「南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、夜の十二時、両親に見守られながらお浄土にかえられました。お父さんは後に「まことに立派な往生であった。それはまさしく、羨ましいほどの死に方であった」と述べておられます。
しかし、本当にお浄土にヨウカンはあるのでしょうか。衆生の願いを叶えてくれるのがお浄土なのでしょうか。
天親菩薩さまは「お浄土は生きとし生ける者の願いを全てかなわしめてくださる世界です。だから私はみんなと共に生まれ往くことを願います」とお示しになられ、親鸞聖人もまたご和讃に「お浄土に生れたなら衆生の願いがすみやかに満足する」と歌われています。ここには「迷いの凡夫をお浄土に生れさせ、必ずさとりに導きたい」という阿弥陀さまの大きな慈悲のお心が示されているように思われます。
お母さんの「ヨウカンでも何でもある」という返事は、間に合わない身である息子へのこれ以上ないほどのご法話でありました。
「あなたが往くお浄土は素晴らしいところだよ。どうかお浄土を願っておくれ」
と伝えるのに、これ以上の説法があったでしょうか。
そんなことを思いながら、原爆ドームを前にして手を合わせずにはおられませんでした。昨今の世界情勢の不安定さを思い「世の中安穏なれ」と願いながら、お念仏もうさせていただきました。
南無阿弥陀仏
一念寺副住職 保田正信
【聖典の言葉】
「如来浄華の聖衆は 正覚のはなより化生して 衆生の願楽ことごとく すみやかにとく満足す (高僧和讃/『註釈版七祖篇』五八〇頁)
『星は見ている―全滅した広島一中一年生父母の手記集 (平和文庫) 』