高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

掲示法語・配布法話 偲んでは 念仏あふれる 盂蘭盆会


掲示板法語と連動した解説法話です☺️
配布法話は門前に設置していますので、お近くの方は手に取って読んでみてくださいね✨

【偲んでは 念仏あふれる 盂蘭盆会】 


 浄土真宗では、先にご往生された方々はお浄土へと往き生れ、仏さまに成って
すぐさまこの迷いの世界に還り、お釈迦さまのように私たちを導いてくださっていると聞かせていただきます。故人さまは時期を限って還ってこられるのではなく、「いつでも」「どこでも」還ってこられています。
 ですから、浄土真宗では「死者がお盆にだけ里帰りしてくる」というような考え方をしないのです。
 そんな「いつでも」の仏さまですが、私たちの側は「いつでも」故人さまを想うことができているでしょうか? それこそ、三六五日二四時間、ずっと想い続けることは、なかなか難しいのではないでしょうか。
 だからこそ、私たちにとっては「折に触れて故人さまを偲び、仏さまに手を合わせる機会を作っていく」ということが大切なのです。
 私(若院)が龍谷大学の学生であった時、杉岡孝紀先生という真宗学の教授がおられました。杉岡先生は、授業の後で質問にいくと丁寧に答えてくださり、時には私の質問を「君は変った視点を持ってるな」と面白がってくださったりもしました。廊下ですれ違った時には「コレあげるわ」とご自著をくださったり、私が龍谷大学に職員として勤めることになった時には「ピッタリやな!」と喜んでくださったり、何故かわかりませんが随分とかわいがっていただけたように思います。
 そんな杉岡先生は、今年の二月二四日に、五八歳を一期としてお浄土へとご往生されました。私は以前から先生がご病気であられたことを知っていましたので、「ああ、ついにこの時が来てしまったか……」とそのお知らせを聞かせていただきました。
 先日、龍谷大学の法要で杉岡先生を偲ばせていただく機会がありました。そこでは、先生がどのような問題意識を持って、どのような研究をされていたのかが紹介されていました。お話を聞いていると、生前の先生のお姿が思い出されてきて、ふと私の口から「なもあみだぶつ」とお念仏がこぼれてくださいました。
 今まさに先生が、この私にお念仏を申させ、仏法聴聞へと導くご縁を作ってくださっているのだなと味わわせていただきました。
 皆さまにとってのお盆が、ただの夏の風物詩で終わらずに、故人さまを想いながら仏法に親しみ、お念仏いただけるようなご縁になることを願っております。
南無阿弥陀仏 一念寺若院 保田正信


【聖典の言葉】
「安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし」
(『浄土和讃』註釈版聖典 560頁