掲示法語・配布法話 どこまでも 照らし見まもる 阿弥陀さま
掲示板の法語の解説法話です☘️
寺報は門前に設置していますので、お近くの方は手に取ってみてくださいね
【掲示法語】
どこまでも
照らし 見まもる
阿弥陀さま
先日、長男(小4)の学校の宿題に「月の観察」というものがありました。ある時間に月の位置を測り、1時間ほどしてからもう一度測ることによって、月が動いていることを実感する宿題です。
その日の夕方、長男と私(若院)の2人は外に出て、月の位置を測りました。私が「どうやって月の位置を測るのかな?」と思いながら見ていると、長男は両手をグーにして前に伸ばし、
「あの月は、僕のグー3個分斜め上だな!」
と言いました。
私はてっきり定規や分度器を使って測るのだろうと思っていたので、あまりの適当さに少々驚きました。しかし、本人は満足したようで、提出用のプリントに屋根と月を描き込んでいました。
1時間後、また2人で外に出て月の位置を測り、どれだけ動いたかを描き込みました。宿題はこれで完成です。
計測結果を見て長男は「本当だ! お月さまって動いてるんだね!」と言いました。
その時、長男の心には確かにお月さまが宿っていました。子どもの頃の思い出は、月日を経てさらに美しくなり、その人の人生を支えてくれるものです。いつか、「あの時、お父さんとお寺の前で月の観測をしたな」と思い出してもらえると良いなと思います。
親鸞聖人のご師匠である法然聖人は、
「月かげの いたらぬさとはなけれども ながむる人の こころにぞすむ」
と歌を詠まれました。
「月の光が照らさない場所はないが、月明りが夜道を照らしてくれる有り難さや、月の美しさ、その風情は、月を見上げて眺める人の心にだけ宿るものだ」というような意味です。
私自身、普段は月を眺めるようなこともありませんし、街灯が明るいと月明りの有り難さにも気付きません。長男のおかげで久々に月を見上げ、法然さまの歌を思い出したことでした。
法然さまは、月によって阿弥陀さまを表現しておられます。月がどんな場所も照らすように、阿弥陀さまはその慈悲と智慧の光をどんな人にも分け隔てなく届けてくださっています。しかし、お念仏をよろこぶ人だけが「私がどこに居ても阿弥陀さまが見守ってくださっている」と安心し、よろこびながら生きていくことができます。
私が阿弥陀さまを忘れているときも、阿弥陀さまはどこまでも照らし、見守ってくださっています。
南無阿弥陀仏 一念寺若院 保田正信
【ご讃題・聖典のことば】
智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく 光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ (『浄土和讃』/『註釈版』557頁)