掲示法語・配布法話 苦を通し 深まる 人生の味
12月の掲示法語の解説法話です✨
【掲示法語】
苦を通し 深まる 人生の味
【法話】
今年は一念寺にとって本当に色々なことがあった一年でした。慌ただしく過ごしているうちに、あっという間に年末が来てしまったというのが、住職と坊守の正直な気持ちです。きっと皆さまにとっても、良いことも悪いことも、大小様々な出来事があったのではないでしょうか。
さて、一念寺の茶室では茶道教室を開催しております。コロナ禍直後に始まった教室ですので、当初は住職と坊守だけが指導を受けておりました。しかし、先生の丁寧なご指導や優しいお人柄もあり、いつの間にか多くの生徒さんが集まるようになりました。
そんな茶道教室でしたが、今年の三月に先生が大きな怪我をされてしまいました。療養に専念していただくため、そこから教室は長期のお休みに入ることとなり、私たちは心配しながら先生の回復をお待ちするほかありませんでした。
そしてつい先日、先生が厳しいリハビリを乗り越え、お怪我から回復されて、茶道教室に復帰されました。
以前と変わらぬ先生の見事なお点前を拝見し、私たちもホッと胸をなでおろしたことでした。
その時にとても印象に残ったのは、先生が仰った、
「怪我をしてから、『なんでこうなったんだろう』という気持ちになったこともあったけれど、今はそれにも意味があったのかなと思います」
という言葉でした。
私は先生の「意味」という言葉を、とても味わい深く感じました。
お釈迦様は「人生は苦である」と仰りました。人生には沢山の困難があり、誰もがままならない想いを抱えながら生きています。しかし、振り返った時にその困難に何かの「意味」を見出すことができれば、その苦しみはただの苦しみではなく、意味のある苦しみになるのではないでしょうか。
親鸞聖人もまた他力念仏に出遇ってから我が身を振り返り、そこにいたるまでの全ての縁に感謝されました。
先生が点ててくださったお茶を一口味わった時、また再び先生のお茶をいただけた嬉しさと先生の人生の深さを感じ、思わず胸が熱くなるのを感じました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
一念寺住職 保田正信
【聖典のことば】
ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。(『教行信証』総序より)