高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

掲示法語・配布法話 へだて超え ともによろこぶ 南無阿弥陀仏



掲示板の法語の解説法話です☘️
寺報は門前に設置していますので、お近くの方は手に取ってみてくださいませ

【掲示法語】
へだて超え ともによろこぶ 南無阿弥陀仏

 数年前、私は、大きなお寺のお盆参りのお手伝いをしに行きました。ご門徒さまが多いお寺でしたので、お参りの時間は分刻みで、一日中「読経・法話・移動」を繰り返す忙しい日々でした。
 そんな中、あるお家のチャイムを鳴らすと、弱々しい声で「玄関まで出られませんので、お上がりください」と言われました。お家に上がり仏間に入ると、ふすまを隔てた隣の部屋から「ふすまを開けず、そこで聞いてください。私は寝たきりで、お仏壇の前に行けません。申し訳ないけど、そこでお経のおつとめをしてください」と言われました。
 私は(なるほど、そういう事情なら私一人でおつとめさせていただこう)と思い、時間に追われていたこともあり、いそいそと支度をし「では、おつとめさせていただきますね」と『阿弥陀経』のおつとめを始めました。お経の半ばまでおつとめしてキンを三回鳴らし、次を読む前に無音になった時、ふすま越しに絞り出すような声が聞こえました。
「しゃー... りー… ほー…」
 その声が聞こえてきてはじめて、ふすま一枚を隔てた隣の部屋のベッドの上で、その方がずっと一緒におつとめしてくださっていたということに気が付いたのです。
 私はその時まで「自分一人がお仏壇の前でおつとめをしている」と思っていました。でも、それは大きな間違いで、本当は、ずっとお参りを待っていてくださったご門徒さまのもとにお参りさせていただいて、最初から最後まで、一緒に阿弥陀経のおつとめをさせていただいて、共にお念仏をいただいていたのです。自分の勘違いを、恥ずかしく思いました。
 最後の回向句を終え、ふすま越しに短いご法話と御文章の拝読をさせていただき、お家を後にしました。玄関を出るまでずっと、
「なまんだぶっ... なまんだぶっ…」
とお念仏が何度も何度も聞こえてきました。
 今でも、そのご門徒さまがおつとめを大切にされていたお気持ちを思い出し、おつとめさせていただくことがあります。
 そんな時は「また一緒におつとめさせていただいた」と思うのです。
 親鸞聖人は、
「お念仏いただくとき、一人でよろこばせていただいているなら二人と思いなさい。二人でよろこばせていただいているなら三人と思いなさい。そのもう一人はこの親鸞です。」
と仰ったといいます。
 お念仏をいただくとき、たとえ、その場に居るのが自分一人であっても、そこには親鸞聖人や、故人さま、阿弥陀さまのお救いに出あわせていただいた数多くの人々がご一緒してくださって、共にお念仏をよろこばせていただいているのですね。
南無阿弥陀仏 保田正信
【聖典のことば・ご讃題】
「一人居て喜ばは二人と思うべし 二人居て喜ばは三人と思うべし その一人は親鸞なり」『御臨末の御書』
≪一緒にお経を読みましょう≫
浄土真宗では僧侶だけではなく、みんなで一緒にお経をおつとめします。一念寺に『浄土真宗伝灯聖典』という、かなり字の大きな聖典が入りました。実費350円でお譲りいたします。もし、古い聖典でよければ無料でおわたしできるものもございます。ご家族一人一人にお経本を持ってほしいと思います。