掲示法語・配布法話
【掲示法語】
仏さまに 人生の意味を
知らされる
【法話】
セミが元気に鳴き始め、いよいよ夏本番となりました。「夏といえばセミ」と言われるほど、セミは夏を象徴する存在です。
それなのに、曇鸞大師(どんらんだいし)は、「セミは夏を知らない」とおっしゃいました。
それなのに、曇鸞大師(どんらんだいし)は、「セミは夏を知らない」とおっしゃいました。
夏にしか姿を見せないセミが、なぜ夏を知らないのでしょうか??
人間は、春夏秋冬という四季の移り変わりを知っています。だからこそ、「今は夏だ」と知ることができます。
セミは夏しか地上で生きることができませんから季節の移ろいを経験することができず、「夏」を他の季節と対比して知ることができないのです。
つまり、セミは夏しか知らないように見えて、実は夏のことすら知らないのです。
このたとえを通して大師が伝えようとされたのは、もちろんセミのことではなく、私たち人間のことです。
人間は、この人生だけに価値や意味を求めてしまいがちです。しかし、それでは春夏秋冬を知らず夏を知らないセミと変わりません。
「生まれる前はどうだったのか?」「死んだ後はどうなるのか?」といった問いに目を向けないままでいると、自分自身の人生の本当の意味を知らないままになってしまいます。
では、人生の本当の意味はどうすれば知ることができるのでしょうか?
それは自分よりも広い視点をもっている方に聞くより他はありません。
仏教徒である私たちは、それを仏さまに聞くのです。
お釈迦さまは、私たちにこう教えてくださいました。
「南無阿弥陀仏に出あえた人生は、決して無意味なものではないんだよ。この命が尽きれば、お浄土に仏として生まれるよ。そして、すべての命あるものに『南無阿弥陀仏』を伝えて救っていく存在になるんだよ。これらはすべて、阿弥陀仏のはたらきによるんだよ。」
こう聞いてお念仏に生きる人は、たとえ何を失っても、
「私は、南無阿弥陀仏に出あうためにこの世に生まれて、南無阿弥陀仏と出あった人生を生きて、お浄土に生まれていく人生をいただきました」
と言うことができます。
仏さまの大きな視点から、今ここにある人生の本当の意味を教えていただき、ありがたいお念仏の人生を歩ませていただきます。
南無阿弥陀仏 一念寺住職 保田正信
【聖典のことば(ご讃題)】
惠蛄(けいこ)春秋を知らず、伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節を知らんや
『往生論註』曇鸞大師