高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺です (浄土真宗本願寺派・お西)。お寺の日常について、法要や寺報法話について掲載しています。

掲示法語・配布法話 暑さ寒さも彼岸まで 貪瞋痴も往生まで


9月の掲示法語の解説法話です✨
【掲示法語】
暑さ寒さも彼岸まで
貪瞋痴も往生まで
【法話】

 先日、我が家の食卓で小学三年生の二男坊が「『暑さ寒さも彼岸まで』ってどういう意味なん?」と質問してきました。
 ご存知のように、この慣用句は「冬の寒さは春分頃まで、夏の暑さも秋分頃までで、そこからは次第に和らぎ過ごしやすくなる」という意味です。
 私がそれを二男坊に説明しようと思っていると、横から小学五年生の長男坊が、「『暑い』とか『寒い』とか言うのはお浄土に生まれるまでってことやろ」と言ったのです。私は、「なるほど、確かにそういう意味でも味わえるな」と感心しました。
 そもそも、「彼岸」はお浄土を表す言葉です。対して、私たちが今生きている娑婆を「此岸」といいます。お彼岸の日には、お浄土の方角である真西に太陽が沈んでいきます。光り輝く西の空にお浄土を思い、お念仏もうし手を合わせていくのが、真宗門徒のお彼岸の過ごし方ではないかと思います。
 七高僧のお一人である善導大師は、二河白道というたとえ話の中で、冷たく荒れ狂う水の河を「貪欲(とんよく・むさぼり)」、燃え盛る火の河を「瞋恚(しんに・怒り)」、そしてその源泉が「愚痴(ぐち・おろかさ)」であるとし、私たち念仏者は、その貪・瞋・痴の煩悩に苦しめられながらも、お浄土へと至るただ一つの白い道、お念仏の人生を歩んでいくのだとお示しくださいました。
 私たちは、煩悩を捨ててからお念仏するのでも、お念仏して煩悩を減らしていくのでもありません。お浄土にまいらせていただくまでは、煩悩を備えたまま、煩悩に苦しみながら生きていきます。
 まさに長男坊が言うように「『暑い』とか『寒い』と」言い続ける人生です。しかし、そんな煩悩の私がお浄土に生まれたなら、煩悩をさとりに変えて、仏さまにしていただけます。
 「暑さ寒さも彼岸まで」を「貪瞋痴も浄土まで」と味わう長男坊の味わいは、実に浄土真宗らしい味わいだなと感心したのでした。親バカですね。
南無阿弥陀仏 一念寺住職 保田正信
【聖典のことば(ご讃題)】
「凡夫」というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。(『一念多念文意』親鸞聖人)