掲示法語・配布法話 南無阿弥陀仏の一声に 無量の功徳が込められている
南無阿弥陀仏の一声に
無量の功徳が込められている
【解説法話】
随分と昔、大きなお寺で法務を手伝わせていただいていた時のことです。
本当は午前の早い時間にお参りする予定だったお宅でしたが、前の予定が長引いて、到着したのが昼前になったことがありました。
お勤めを終えた時、そちらの方は怒るどころか
「せっかくですから、食事もしていきなさい」
と温かく声をかけてくださいました。
食事が運ばれ、いただく前に一緒に「いただきます」と手を合わせました。
その時、ご門徒さまがくるりと体の角度を変え、お膳の脇に何粒か用意されていた「お薬」に向かって静かに手を合わせ、頭を下げられたのです。
その仕草がなんだか微笑ましく、私が少し顔をほころばせていると、門徒さんはそんな私にこのようなことをおっしゃいました。
「不思議に思ったやろ。でも、この薬一粒に、どれだけの苦労がこもってると思う? 賢い人たちが一生懸命、私みたいな病人のために頑張って研究してくれた。もしかしたら、動物や他の人が試しに飲んでくれたかも知れん。そんな苦労や命に支えられて生かされてるんやなぁ、と思うと手が合わさるんよ」
その言葉を聞いて、私は自分の浅はかさが恥ずかしくなると同時に、私たちが何気なく手にしているものの背景にある、目に見えない尊さに、頭が下がる思いがしました。
このことは、私たちが普段、何気なく口にしている「南無阿弥陀仏」のお念仏にも通じるように思います。
何気なく、あるいは習慣のようにお念仏を口にしておりますが、その「南無阿弥陀仏」というお名号(みょうごう)を仕上げて私に届けるために、法蔵菩薩、つまり阿弥陀さまは、どれほどのご苦労を重ねてくださったのでしょうか。
阿弥陀さまは、あらゆる命を一人残らず救うため、とてつもない長い時間(五劫・ごこう)にわたって考えを巡らし、さらに気が遠くなるような時間(兆載永劫・ちょうさいようごう)をかけて、厳しいご修行を修めてくださいました。
親鸞聖人は、その阿弥陀さまのご苦労について、「阿弥陀さまのご苦労は、ひとえにこの親鸞、一人のためであった」と味わっておられます。
病を治す薬が一粒一粒が、最高の状態に仕上げられて届けられているように。一声一声の南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまの「お前を必ず救う、決して見捨てない」という願いと、はかり知れないご苦労によって仕上げられています。
ご門徒さまのお姿によって、お念仏の味わいを深めていただいたなあと、今も有り難く思い出されます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
一念寺住職 保田正信
【聖典のことば】弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり(『歎異抄』後序)