高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

一日拝読 聖人一流章 五帖第十通

一日拝読 聖人一流章 五帖第十通



【原文】
 聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。そのゆゑは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。その位を「一念発起入正定之聚」(論註・上意)とも釈し、そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
(『浄土真宗聖典─註釈版─』1197頁)

【大意】
 親鸞聖人のひらかれた浄土真宗のみ教えでは、信心が根本です。
 そのわけは、自力のはからいを捨て、一心に阿弥陀如来に帰命すれば、思いも及ばないすぐれた本願のはたらきによって、如来が私たちの往生を定めてくださるからです。
 往生が定まったその位を、「一念発起入正定之聚」と示されています。そして信心を得た後に称える念仏は、如来が私の往生を定めてくださったご恩を報じる念仏であると心得るべきです。
『御文章 ひらがな版 拝読のために』

【英語訳】
What is taught in the tradition of Shinran Shonin is that the entrusting heart is essential. For when we abandon various practices and take refuge in Amida with singleness of heart, our birth in the Pure Land is settle by the Buddha through the inconceivable Vow-Power.

The state we thus attain is described as “with awakening of a single thought of entrusting, we join those who are in the stage of the truly settled.” Recitation of the nembutsu thereafter should be understood to be the nembutsu as an expression of gratitude for the Tathagata’s benevolence for settling our birth in the Pure Land.

Humbly and respectfully.


tradition / trəˈdɪʃən / 伝統
entrusting / ɪnˈtrʌstɪŋ / 信頼すること
essential / ɪˈsɛnʃəl / 不可欠な
abandon / əˈbændən / 放棄する
refuge / ˈrɛfjuːdʒ / 避難
take refuge in Amida / 阿弥陀仏に帰依する
singleness / ˈsɪŋɡlnəs / 単純
with singleness of heart / ひたむきな心で
birth / bɜːrθ / 誕生
Pure Land / pjʊər lænd / 浄土
settle / ˈsɛtl / 解決する 確定させる 決定する
Buddha / ˈbʊdə / 仏陀
inconceivable / ˌɪnkənˈsiːvəbəl / 考えられないほどの 不可思議
Vow-Power / vaʊ paʊər / 本願力

state / steɪt / 状態
thus / T͟Həs / こうして
attain / əˈteɪn / 達成する
describe / dəˈskrīb / 説明する
awakening / əˈweɪkənɪŋ / 目覚め
single thought / ˈsɪŋɡl θɔt / 一つの考え
recitation / ˌrɛsɪˈteɪʃən / 朗唱
nembutsu / ˈnɛmbʊtsuː / 念仏
recitation nembutsu / 称名念仏
expression / ɪkˈsprɛʃən / 表現
gratitude / ˈɡrætɪˌtud / 感謝
Tathagata / ˌtæθəˈɡɑːtə / 如来
benevolence / bɪˈnɛvələns / 慈悲
humbly / ˈhʌmbli / 謙虚に
respectfully / rɪˈspɛktfəli / 敬意を表して


【再翻訳】
親鸞聖人の伝統的な教えでは、委ねる心が何よりも大切なのです。
私たちが諸々の修行を捨て、一心をもって阿弥陀仏に帰依するただそれのみで、私たちの浄土への往生は、仏の不可思議な本願力によって定まるからです。
私たちがこのようにして至る状態のことを、「ゆだねる一念に目覚め、真の往生が定まった段階にいる人々の仲間入りをする」と説明されています。
その後の称名念仏は、私たちを浄土に往生するように決定してくださった如来の慈悲に対する感謝の念仏であると理解すべきです。
おそれ多くも、ありがたいことです。

本願寺国際センター(英語)