高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

掲示法語・配布法話 ほとけとは  捨てておけない 親心

4月の掲示法語と配布法話です✨
一念寺門前にも設置しているので、お近くの方は手に取って読んでくださいね

【掲示法語】
ほとけとは 
捨てておけない
親心

【本文】

 先日の仏教婦人会彼岸会法要では龍谷大学伝道部の西居顕真さんにご法話をしていただきました。
 摂取不捨(せっしゅふしゃ)という言葉について、ご自身の身近な体験を通して味わってくださいました。
 西居さんがはじめてコロナのワクチンを接種した時のことです。副反応がきつい人がいるということが話題になっていたためか、ご実家のお母さんから「お見舞いに行くからね」という申し出がありました。
 しかし、西居さんの実家は熊本です。熊本から京都までは新幹線でも四時間以上かかります。西居さんは最初「大丈夫だから」と断ったのですが「どうしても見舞いたい」というお母さんの申し出を断り切れませんでした。
 その後、西居さんは「そんなに大したことはないだろう」とワクチンを接種したのですが、帰宅してから次第に熱が上がり、体調が悪くなり寝込んでしまいました。横になりながら、お父さんが話してくれた「一人暮らしで辛いのは病気になった時だぞ」という言葉を思い出して、「本当にそうだなあ」と実感したのだそうです。
 翌朝の十時頃、下宿のマンションのチャイムが鳴りました。ドアを開けると、そこには大きな袋を両手に持ったお母さんが立っていました。午前中に着くためには、きっと熊本を出たのは始発電車だったことでしょう。
 西居さんはお母さんのお見舞いのおかげで随分と安心することができたのだそうです。
 息子が「放っておいてくれ」と言っても放っておけなかったお母さんの親心が京都にまで届いたのでした。
 浄土真宗のお彼岸では、彼岸であるお浄土をこちらから思うだけではなく、お浄土から思ってくださってくださる仏さまのお心を聞いていくことが大切です。
 私は日々の暮らしの中で、時に仏さまの親心を忘れてしまいがちです。それどころか、仏さまから逃げるような心持ちのことすらあるかも知れません。しかし、仏さまはいつどんな時も、この私のことを忘れることなく「絶対に捨てないぞ」と救いの心を届けてくださっています。
 常に私にとどいてくださっている仏さまのお心が南無阿弥陀仏というお名号なのですね。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


【聖典の言葉】
摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり。
(浄土和讃/『註釈版聖典』五七一頁)