高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

六日拝読 吉崎建立章 一帖第八通

六日拝読 吉崎建立章 一帖第八通

文明第三初夏上旬のころより、江州志賀郡大津三井寺南別所辺より、なにとなくふとしのび出でて、越前・加賀諸所を経回せしめをはりぬ。よつて当国細呂宜郷内吉崎といふこの在所、すぐれておもしろきあひだ、年来虎狼のすみなれしこの山中をひきたひらげて、七月二十七日よりかたのごとく一宇を建立して、昨日今日と過ぎゆくほどに、はや三年の春秋は送りけり。さるほどに道俗・男女群集せしむといへども、さらになにへんともなき体なるあひだ、当年より諸人の出入をとどむるこころは、この在所に居住せしむる根元はなにごとぞなれば、そもそも人界の生をうけてあひがたき仏法にすでにあへる身が、いたづらにむなしく捺落に沈まんは、まことにもつてあさましきことにはあらずや。しかるあひだ念仏の信心を決定して極楽の往生をとげんとおもはざらん人々は、なにしにこの在所へ来集せんこと、かなふべからざるよしの成敗をくはへをはりぬ。これひとへに名聞利養を本とせず、ただ後生菩提をこととするがゆゑなり。しかれば見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。
  [文明五年九月 日]
(『浄土真宗聖典─註釈版─』1095頁)


 文明三年四月上旬に、近江の地から北国へ来て、越前や加賀の各地をまわりました。そして、この吉崎という場所がとくに気に入りましたので、狼などが棲むような土地でしたが、山を切り開いて、七月二十七日に一寺を建立しました。それから昨日、今日と日を過ごし、もう三年もたってしまいました。
 そのうちに多くの人々が集まってきましたが、私がお寺を建てた目的と違ってきた様子なので、今年から仏法を聞く気のない人たちの出入りを止めます。私がこの地に住んでいるのはなんのためかといえば、人間に生まれて、遇いがたいみ仏の教えに遇いながら、むなしく地獄におちてしまうのは本当に嘆かわしいことなので、他力の信心を決定し、浄土往生をとげていただきたいからです。しかし、浄土に往生しようと思わない人たちは、なんのためにこの地に集まるのかわかりませんから、出入りを止めたいと思うのです。この地に集まるのは名誉や財産といった欲のためではなく、浄土に往生してさとりを得るためですから、このことを聞いた人々は、自分勝手な思いにとらわれないでほしいと思います。
『御文章 ひらがな版 拝読のために』