高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

八斎戒

2024年6月19日 作成


三部経の繰り読みをしていて観経の中品上生のところに「八斎戒」という戒が出て来ました。

仏教徒にはまもるべき戒律というものがあります。
戒はさとりを目指す仏教徒として自らまもるべきもので、律は教団の集団におけるルールです。

その中でも、八斎戒は在家の信者(=男性の優婆塞、女性の優婆夷)が日を定めてまもるべきものとされています。

浄土真宗に戒はありませんので観経のこの部分は「まもろうとしてもまもれない自分のすがたを知らされるところ」として読むのが良いのではないかと思います。しかし「それにしても、そもそも戒律について詳しく知らない自分のようなものが、まもれないことを実感するというのは難しいな」と感じたので簡単に調べてみました。



まず前提として、在家の信者は五戒という五つの戒をまもります。

【五戒】
不殺生戒 生きものを殺さない
不偸盗戒 盗みをしない
不邪婬戒 正常な夫婦関係意外の婬事をしない
不妄語戒 うそをいわない
不飲酒戒 酒を飲まない 

すでにこの時点でまもれていないなあと実感できてしまいます……

八斎戒はこの五つの戒に三つの戒をプラスし、特定の日にまもるというものです。
(五戒+三つの戒=八斎戒)



八斎戒
(八支斎。八関斎戒、八戒斎、仏法斎、八分戒、八戒、斎戒、一日戒、近住戒、近住律儀ともいう)

優婆塞・優婆夷が一日一夜の期限を限ってたもつ出家の戒で、これをたもつ者を鄔波婆沙(うはばしゃ)といい、近住(ごんじゅう)、善宿と訳す。
(近住とは阿羅漢に近づいて住するの意)

六斎日(ろくさいにち)
毎月8/14/15/23/29/30

五戒
不殺生戒 生きものを殺さない
不偸盗戒 盗みをしない
不邪婬戒 正常な夫婦関係意外の婬事をしない
不妄語戒 うそをいわない
不飲酒戒 酒を飲まない 

五戒のうちの不邪淫戒を不婬戒(離非梵行戒ともいう。その日一昼夜、夫婦間の性交をも断つ)とし、さらに

(6)高座に坐り好床に臥さない(離眠坐高広厳麗牀座りみんざこうこうごんれいしょうざ)、
(7)身に香油を塗らず装身具をつけず(離塗飾香鬘りずじきこうまん)、演劇などの催物を見ない(離舞歌観聴りぶかかんちょう)
(8) 正午を過ぎてから食事をとらない(離非時食戒りひじじきかい)を加えて八とする。

六斎日に沐浴断食する習慣はインドの他の宗教に古くから行われ、これが仏教に準用されたものらしく、また八の中では非時食戒がその中心であるとされている。

参考
『総合仏教大辞典 全一巻』
とのことです。

五戒をまもりつつも、ベッドで寝ない、着飾らず娯楽を避ける、正午以降は食べない、というのが八斎戒なのですね。
これを六斎日にまもるのですが、一ヵ月のうちの六日ですから五分の一はこれをまもるのが在家の仏教徒としての理想的な生活なわけです。
なかなか厳しいものですね。


一応浄土真宗の立場を書いておきます。

さとりを目指せないこの私のために、法蔵菩薩が考え尽し、私を成仏させたいという願いを建て、修行して願いを成就し完成したすがたが南無阿弥陀仏の名号であると考えます。ですから、その名号に私を成仏させるという功徳は成就されており、仏の徳の全てがおさめられた名号を受け取ることで私は往生成仏することができます。
その意味では、浄土真宗には戒をまもることでさとり(成仏)に近づくという考え方は無いということになります。
ですから、浄土真宗は破戒ではなく、無戒です。さとるため、成仏するための戒は必要ありません。

しかし、この人生において人間的に成長して心穏やかに過ごすことを考えた場合には、戒律には人生のヒントがあるようにも思われます。
こうして戒律について知ることで人間としての理想的な生き方を知れたとすれば、それができない自分をより深く見つめることができるかも知れません。

お釈迦さまの教えによって自分自身を見つめることことができたとしたら、たとえ戒のない浄土真宗であっても勉強することには大きな意味があるように思われます。
「できないことを知る」ための良い切っ掛けになりました。

南無阿弥陀仏