掲示法語・配布法話 あなたがあなたを見捨てても 阿弥陀さまは あなたを見捨てない
9月の掲示法語の解説法話です✨
【掲示法語】
あなたがあなたを 見捨てても
阿弥陀さまは あなたを見捨てない
【解説法話】
以前『探偵!ナイトスクープ』(2024年12月20日放送)で、「生きているだけで偉いのか?」というテーマが取り上げられました。街頭インタビューでは「偉いと思う」人、「思わない」人、さまざまな意見が寄せられていました。
私自身はなんとなく「偉い」と思っていたので、「偉くない」と答える人が意外にも多く、考えさせられました。
確かに考えてみれば、「偉くない」という意見の方が筋が通っているのかもしれません。よく「人間は互いに迷惑をかけ合って生きている」と言われます。私たちは知らず知らずのうちに誰かに負担をかけています。地球環境という大きな視点に立てば、環境を破壊しなければ生きていけない人間は、存在するだけで迷惑な存在だとも言えます。
改めて自分に問い直して、「生きているだけで偉い」と言える理由を探すのは案外難しいことだなあ…と気づきました。
そこで、視点を少し変えてみることにしました。「自分」ではなく、「私の大切な人たち」だったらどうだろうか、と。
妻や息子、そして友人たちの顔を思い浮かべてみました。するとそこには「偉いか、偉くないか」という評価を超えて、ただ「生きていてほしい」「幸せでいてほしい」と願う気持ちがありました。
「生きているだけで偉いのか?」という問いは、言い変えれば「もし自分がすべてを失ったとしても、この人生に価値はあるのか?」という問いなのだと思います。
自分だけで自分の中に価値を見出すのは簡単ではありません。けれど、愛する人を思い浮かべて、その人についてならどうか?と考えると、答えは簡単に出てきます。
自分の価値は、自分の中だけで完結するものではなく、他者との関わりの中で与えられるものなのかもしれません。
しかし、その「他者」も永遠ではありません。悲しいことですが、いつか別れが来たり、心変わりすることもあります。
どんな時も永遠に私の命に価値を見出し、決して心変わりせず「あなたの人生はかけがえなく尊い」と言い続けてくれる存在があり得るのでしょうか?
そう思い至ったとき、私は「それこそが仏さまだ」と思えました。
どんな時も、どこにいても、たとえすべてを失ったとしても、この私を「かけがえのない尊い命」として見守り続けてくださる方がおられる。そのお方を「南無阿弥陀仏」と呼ばせていただくのでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
一念寺住職 保田正信
【聖典のことば】
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる(『浄土和讃』)