高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

十六日拝読 信心獲得章 五帖第五通

十六日拝読 信心獲得章 五帖第五通

 信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。このゆゑに、南無と帰命する一念の処に発願回向のこころあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。これを『大経』(上)には「令諸衆生功徳成就」と説けり。されば無始以来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもつて消滅するいはれあるがゆゑに、正定聚不退の位に住すとなり。これによりて「煩悩を断ぜずして涅槃をう」といへるはこのこころなり。この義は当流一途の所談なるものなり。他流の人に対してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり。よくよくこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(『浄土真宗聖典─註釈版─』1192頁)

 信心を得るというのは、第十八願を心得るということであり、それはとりもなおさず、南無阿弥陀仏のいわれを心得るということです。
 私たちが、南無と阿弥陀仏に帰命する心は、私たちをお救いくださる阿弥陀仏の本願のはたらきなのです。これがすなわち、如来が凡夫に如来の徳を回向されるということです。それを『大経』には、「令諸衆生功徳成就」と説かれています。はかりしれない昔からつくり続けてきた罪が、本願のはたらきによって消滅するわけがあるので、浄土に往生することに定まって決して退かない位につくというのです。「煩悩を断ぜずして涅槃をう」というのはこのことです。
 この教えは、浄土真宗だけが説くものですから、他の宗派の人に対していうべきことではありません。十分心得るべきことです。
『御文章 ひらがな版 拝読のために』より