高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

11月 掲示法語更新



掲示法語を更新しました。

●浄土真宗を感じる法語
親鸞聖人の出現は
私一人のためであった
横超慧日

 仏教は仏法ともいわれるように、法則を説くものであり、普遍的な教えです。決して、誰か一人のための教えではありません。法則は、いつでも・どこでも・誰にでも当てはまらないと法則でありえません。
 しかし、親鸞聖人は「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり(阿弥陀様が長く長く考え続けてくださった理由は、ただこの親鸞ひとりを救うためであった)」(『歎異抄』後序 『註釈版聖典』/853頁)と仰ったと云います。
 法則は法則のままでは、自己の存在の問題、命の問題をあずけていく拠り所にはなり得ません。その法は、私にとってどのような意味を持つのか、を考え、私ひとりへのメッセージとして受け取っていくことが大切です。


●仏教の教えを感じる法語
われもたすかり
人もたすかるというのが
仏教の教え
曽我量深

 仏教は利他の教えです。他者を利益していくことこそが仏教的には正しい生き方であると言えるでしょう。仏典には、ときに自分の命を投げ出してまで他者を利益しようとする素晴らしい方々のことが説かれています。
 しかし、私のように自分可愛さから逃れられない凡夫にとって、自分の命を投げ出してでも他者を利益するというのは不可能なことです。
 そうであるならば、私も幸せになり、それによって誰かもまた幸せになるような、もしくは他者を幸せにすることを、自分の幸せとして受け取っていけるようなポイントを探していくことが大事なのではないでしょうか。
 単に自己犠牲を美徳とするのではんく、みんなが幸せに生きられるような道をさがしていきたいと思います。