高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

配布法話 戒めて 見捨てないのが ほとけの心

配布法話は毎月月初めに更新しています。
門前に設置していますので、お近くの方は手に取って読んでみてください。
一念寺の予定なども掲載しています。


【戒めて 見捨てないのが ほとけの心】

 仏さまは、まだ犯していない罪は「絶対にするな」と戒められます。しかし、すでに罪を犯した人については見捨てることができないのだそうです。

 戦後の混乱期の話です。いつもお腹を空かせている兄弟がいました。
 兄は弟に「腹がへっても盗みはするなよ。もしそんなことをしたら俺はお前をゆるさないぞ。兄弟の縁を切るからな」と厳しく言い聞かせていました。

 しかしある日のこと、弟はついつい市場の店でお菓子を盗んでしまいました。弟は店主に捕まり、こっぴどく叱られました。でも、弟が本当に恐れていたのは兄に兄弟の縁を切られてしまうことでした。
 しばらくすると真っ青な顔をした兄が店に駆けつけてきました。兄は店主に土下座して何度も謝り、「お菓子の代金は必ず払いますから、どうか弟を許してください」と頼み込みました。店主は兄の真剣な顔を見て、その言葉は嘘ではなさそうだと思い、弟を許してくれました。
 市場からの帰り道、弟がビクビクしながら兄の顔を見上げると、兄は唇を噛みながらポロポロと涙を流していました。弟が「お兄ちゃんごめん。兄弟の縁だけは切らないでくれよ」と言うと、兄は「誰が縁を切るものか。盗みをしたら打ち据えられて死ぬかも知れないんだぞ。もうこんなことはしないでくれ」と言い、弟の手をギュッと強く握りました。
 弟は、兄が自分のことを思って「縁を切る」と戒めていてくれたこと、そして、罪を犯してしまったからといって、兄は決して自分を見捨てないということを知りました。そして、自分のしてしまった罪を恥じて声をあげて泣きました。
 阿弥陀仏は、『大無量寿経』の本願に「五逆と誹謗正法という重い罪を犯したものは救わない」と戒めておられます。しかしその一方で、『観無量寿経』にはその罪を犯したものであっても見捨てずに救っておられるのです。
 救いがあっても、罪が罪でなくなるわけではありません。罪は罪のままなのです。罪を犯さないように戒めはするが、罪を犯してしまった人を見捨てることなく、お慈悲をそそぎ続けておられるのが阿弥陀仏という仏さまなのですね。
南無阿弥陀仏 一念寺若院 保田正信
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「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。(『尊号真像銘文』六四四頁)
五逆誹謗正法 ①父を殺す ②母を殺す ③阿羅漢(あらかん=修行者)を殺す ④仏身を傷つける ⑤教団の和を壊す、という五つの大罪と、仏教を誹謗中傷すること。仏教で最も重い罪。