高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

配布法話 思われて生きている

10月の配布法話は仏教婦人会でお話した法話の要約です。
配布法話は一念寺門前に設置していますので、お近くの方は手にとってみてくださいね。

【仏教婦人会彼岸会 法話の要約】
 お彼岸は、西のかなたのお浄土を思う日です。
そして、お浄土から思われていることをよろこぶ日です。

 幼い娘がいるお母さんがいました。ある日、お母さんが体に不調を感じ病院にいくと、思いもかけず重い病にかかっており、余命が短いことがわかりました。

 お母さんとお父さんは話し合い、二人で協力してビデオを撮影することにしました。娘に絵本を読み聞かせるビデオを撮ったのです。そうして、たくさんのビデオを遺して、お母さんはその命を終えていきました。
 娘はお母さんの読み聞かせビデオを見てスクスクと育ちました。
 幼い頃のお別れなのに、ビデオのおかげで、娘はお母さんを感じながら育つことができました。
 しかし、思春期の頃から娘は自立心が強くなり、あまりビデオを見なくなりました。お父さんとの関係も良くない時期がありました。お父さんは「娘が大人になる過程の自然なことなのだろう」と、ビデオを押し付けませんでした。
 娘は一人でも生きていける強い人間になりたいと頑張りました。そして、立派な大人に成長しました。
 さらに年月がたち、娘が結婚する日がやって来ました。
 会場には大きなモニターがあり、遠方の友人や恩師からのメッセージビデオが流されました。予定していた全てのメッセージが終わった後に、モニターに写し出されたのはお母さんの姿でした。お父さんが娘に秘密で用意していたのです。
 それは、お母さんが最後に力を振り絞って撮影したビデオでした。
 お母さんは、ガリガリにやせ細り、息も絶え絶えでしたが、ずっと笑顔を絶やさずに、娘が生まれてからの数年間のことを楽しそうに話しました。
そのビデオは「あなたは今、幸せですか? あなたが幸せだと良いなあ。私は、あなたと出あえて、あなたのママになれて、とってもとっても幸せでした」という言葉で締めくくられていました。
 娘は、お母さんに思われていたことをあらためて知り、涙を流しながら「ありがとう。お母さん。お母さん」と何度も何度もお母さんの名をよびました。
 一人で生きていると思っている時も、私たちは思われて生きているのですね。
南無阿弥陀仏 一念寺若院 保田正信
●大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)
大悲、ものうきことなくして常に我を照らしたまふ
(『教行信証』正信偈/『註釈版』二〇七頁)
●阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる
(本願寺出版現代語版)