高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

礼讃文(三帰依文)

随分昔、礼讃文(三帰依文)について調べた文章が出てきたので、ブログに掲載しておきます。
調べてみて見えてきましたが、このご文はかなり禅宗的な出拠を元に編纂されているようです。
編纂者とされる大内青巒が禅僧であったので当然なのかもしれません。

三帰依文の出拠で調べると『法句経』『華厳経』『法華経』からの言葉による、と書かれているところが多かったのですが、文を1つずつとって調べてみると、どちらかというと「華厳経&禅宗が大切にしてきた書物」をもとに編纂されたという感じでしょうか。
- - - - - - - - - - - - -
礼讃文(三帰依文)
人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの 身を度せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるべし。
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍ならん。
無上甚深徴妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。
我いま見聞し 受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解したてまつらん。
- - - - - - - - - - - - -
三帰依文は大内青巒により編纂されたといわれる。
大内青巒(1845-1918)
曹洞宗僧侶・仏教学者・本願寺派第二十一世大谷光尊の侍講をつとめた。
- - - - - - - - - - - - -
【礼讃文】
人身受け難し、いますでに受く。
仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば
さらにいずれの生においてかこの 身を度せん。
【漢文にしたもの】
人身難得 今已得
佛法難聞 今已聞
此身不向 今生度
更向何生 度此身
出拠不明だが、宋の禅僧、死心悟新師の語録に
「人身難得 佛法難聞 此身不向今生度 更向何生度此身」
とある。
http://goo.gl/ARWW 中華電子仏典協會HPより
また、これとほぼ同じ文が『緇門警訓』『禪關策進』にも見られる。
『緇門警訓』(しもんけいくん)
参禅弁道のための先哲垂戒遺訓を集めたもの
http://iriz.hanazono.ac.jp/
data/zenseki_261.html
『禪關策進』『禅関策進』(ぜんかんさくしん)
雲棲袾宏の編。万暦二十八年(1600)に成る。初めて禅を学ぶ者のための入門書。 
http://iriz.hanazono.ac.jp/
data/zenseki_265.html
しかし、単純に漢文にした場合の七言の方が、偈文としてはシックリくるような気がする。
『大般涅槃經』には
人身難得如優曇花。我今已得。
如來難値過優曇花。我今已値。
清淨法寶難得見聞。我今已聞。
とあり、この後すぐ「猶如盲龜値浮木孔。」と盲亀浮木の比喩がある。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/
大正新脩大藏經テキストデータベースより 
『法事讃』には
人身難得今已得
浄土難聞今已聞
信心難発今已発
とある。
真宗聖教全書Ⅰ P615 
親鸞聖人は化身土文類にこの文を引用する
またいはく(法事讃・下 五九一)、「十方六道、同じくこれ輪廻して際な
し、循々として愛波に沈みて苦海に沈む。仏道人身得がたくしていますでに
得たり。浄土聞きがたくしていますでに聞けり。信心発しがたくしていますで
に発せり」と。{以上}
註釈版聖典P412【66】
又(法事讃巻下)云「十方六道同此輪回无際循循沈愛波而沈苦海佛道人身難得今
已得浄土難聞今已聞信心難発今已発」[已上]
『撰集百縁經 』には
人身難得我今已得
諸根難具我今已具
信心難生我今信生
とある。
- - - - - - - - - - - - -
【礼讃文】
大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるべし。
【漢文にしたもの】
大衆諸共 可奉至心 帰依三宝
『諸回向清規』(しょえこうしんぎ)には「可奉歸依佛法僧」という七言がある。
前の七言の偈文との関連を考えると、この七言の文を出拠と考える方が自然か?
また、編纂者とされる大内青巒は禅僧であり、『諸回向清規』は禅宗で重視される書物。開経偈「無上甚深徴妙の法は~」に関しては『諸回向清規』に完全に一致した部分がある。
『諸回向清規』
つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉より
- - - - - - - - - - - - -
以上を七言に揃えた場合
人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの 身を度せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依したてまつるべし。
までで
人身難得今已得
佛法難聞今已聞
此身不向今生度
更向何生度此身
可奉歸依佛法僧
- - - - - - - - - - - - -
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍ならん。
【漢文にしたもの】
自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上意
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無碍
【出拠と思われる経文】
自歸於佛 當願衆生 體解大道 發無上意
自歸於法 當願衆生 深入經藏 智慧如海
自歸於僧 當願衆生 統理大衆 一切無礙
『大方廣佛華嚴經』大正新脩大藏經テキストデータベースより
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/
ほぼ一致する。
- - - - - - - - - - - - -
【礼讃文】
無上甚深徴妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。
我いま見聞し 受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解したてまつらん。
【漢文にしたもの】
無上甚深微妙法
百千万劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義
『諸回向清規』と『大通禪師語録』愚中周及(仏徳大通禅師)(1323~1409)
に「開經偈」として完全に一致する文が見られる。
無上甚深微妙法
百千萬劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如來眞實義
- - - - - - - - - - - - -
以上を漢文のみで並べるとこんな感じになる。
人身難得今已得
佛法難聞今已聞
此身不向今生度
更向何生度此身
可奉歸依佛法僧
自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上意
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無碍
無上甚深微妙法
百千万劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義