高槻一念寺

高槻市下田部町のお寺 (浄土真宗本願寺派)です

十三日拝読 いまの世章 四帖第十通

十三日拝読 いまの世章 四帖第十通


 今の世にあらん女人は、みなみなこころを一つにして阿弥陀如来をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふことゆめゆめあるべからずとおもふべし。されば弥陀をばなにとやうにたのみ、また後生をばなにとねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなく、ただ一心に弥陀をたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみまうさん人をば、かならず御たすけあらんことは、さらさらつゆほども疑あるべからざるものなり。このうへには、はや、しかと御たすけあるべきことのありがたさよとおもひて、仏恩報謝のために念仏申すべきばかりなり。あなかしこ、あなかしこ。
[八十三歳 御判]
(『浄土真宗聖典─註釈版─』1182頁)


 今の世の女性たちは、みな一心に深く阿弥陀如来を信じる以外に、迷いの世界を出て浄土に往生する道はないと思ってください。
 それではどのように如来を信じ、往生を願うのかといえば、なにも思い迷わずに、二心なく阿弥陀如来に帰命して、おたすけくださいとおまかせするのです。如来はその人をかならずお救いくださることは疑いありません。そして信心を得た後は、たしかにお救いくださるありがたさを思い、仏恩報謝の念仏を申すばかりです。
『御文章 ひらがな版 拝読のために』より